UP BIJIN 011#當眞 貴代さん@株式会社マルユウハウジー

UP BIJIN 11を飾って下さるのは、株式会社マルユウハウジーで会長秘書を務めながら、個人事業の、トーマスエステートの代表としても活躍中の當眞貴代さんです\(//∇//)\

當眞さんとは、今回お会いするのは初めて。

しかも銀行員からミス沖縄に転身されたという。異色のご経歴に興味津々!!

実際にお会いしてみると、まぁ~素敵!!久しぶりに会った友達くらいの感覚で話せちゃう。この感じはなんでしょう。

こんなにも美しいのに親しみやすく、いろいろなお話に花が咲きましたよ。

本日は、そんな魅力あふれる當眞貴代さんに迫りたいと思います\(^o^)/

當眞貴代(30) 株式会社マルユウハウジー 会長秘書/トーマスエステート 代表
沖縄県浦添市出身。
県内の大学を卒業後、株式会社琉球銀行の総合職として入行。銀行時代に、宜野湾市の親善大使「はごろもレディ」を2年間兼任し、その翌年、銀行を退職。その後、沖縄県の親善大使「ミス沖縄」に選ばれ、全国で沖縄県のPR活動を行う。引退後は、不動産会社「株式会社マルユウハウジー」へ入社。現在は、株式会社マルユウハウジーで会長秘書と務めながらトーマスエステートの代表としても活動をしている。


銀行員からミス沖縄へ。

あの時下した決断が私の人生を180度変えた。


銀行員と親善大使の2足の草鞋をはく

宜野湾市を全国にPRする「はごろもレディ」の活動を2年間させて頂きました。

きっかけは、当時、銀行で働いていた私に常連のお客様から「こんなのあるんだけど。受けてみない」の一言。純粋に挑戦したいなと思いました。

私は学生時代からずっと無難な選択しかしてこなかったですよ。地元の中学を卒業して、普通科のある高校に進学後、県内の大学に入学して、卒業後は銀行員という。一見、安定していて素敵なレールに乗っているように思えるのですが、なんか自分の中ではしっくりこなくて。でも何かを見つけられずにいたときに、はごろもレディのお話があったので、冒険してみようと飛び込みました。

選出した後は、銀行と、はごろもレディを兼務で活動をしていたので、お泊りが伴うような県外の仕事は、他2名のはごろもレディにお願いをして、県内のイベントは、有給をうまく使って月に1回程参加をしていましたよ。

はごろもレディの2年間の活動を通して、今まで私が知らなかった世界を見ることができ、これまでのお仕事とはまた違う角度で、地域貢献をしている感覚や大好きな沖縄の魅力を発信できることの楽しさを知りました。

それが人生の転機になって、ミス沖縄へ応募することができたと思います。


ロープレ大会で優勝

私が勤めていた銀行では毎年、お客様に最高のサービスを提供するため「窓口応対ロープレ大会」が行われているんですね。この大会は全支店対象に行われ、おかげさまで2年連続決勝大会に出場させて頂きました。

出場部門は大きく3つあって。

1つ目は、クイック窓口部門。2つ目は、相談窓口の定期預金・投資信託部門、3つ目は貸付窓口で借り入れを専門に扱う部門です。

なかでも、私は相談窓口と貸付窓口の両方に出場させて頂いたのですが、相談窓口はベスト4、貸付窓口では最高で最優秀賞を取ることができたんです!

自分でも本当に驚いたのですが、今まで同じ支店の方にとても支えて頂いたので、その恩返しが少しでもできればと必死でした。この賞を取れたことが、自分の自信にもつながりましたし、きっとミス沖縄に合格できたのも、この大会での経験が活かされたからだと思います。


後悔しない道を選ぼう

実はミス沖縄へ応募して最終選考に残ったとき、嬉しい気持ちの半面、会社のことが不安でしかたありませんでした。

というのも、ミス沖縄に選ばれると、年間100件を超える派遣があるため、公務と兼務して仕事をすることが難しく、退職することを考えないといけないんですね。

もちろん、銀行でも、今後の私をどうするかと考えた結果。

最終選考を受けるなら今すぐ会社を辞めるor最終選考を辞退し会社に残るか

の決断を迫られ、私は前者をとりました。

選ばれなかったら、何も残らないにし。

自分でも大きな決断をしたなと思いましたよ。ホント。

たぶん人生の中で一番痩せていたと思います笑。

でも、どっちが後悔に残るかなと考えた時に、ミス沖縄を受けないことが悔いに残ることだと思ったんです。

銀行はまる3年勤めて、しんどいところから楽しいと思える域まで達していたので、タイミング的に、これも運命なのかなと思いました。

周りの同期に比べたら、今後得られる金融知識に差がついていくし、やりたいこともあったけど、でもミス沖縄に挑戦したいという気持ちが勝ちましたね。


こうなったら、やるしかない

最終選考の前日が退職日で、2日前には支店に挨拶を済ませ、「これで落ちたら職なしだな」とか「落ちたら銀行内で噂になるかな」とかいろいろな感情が渦巻く中、最終選考を迎えました。

最終選考に残っている皆さんは、とてもキラキラしていて、美しくて。

その一方で私は準備もできていないし自信もない。本当にこれで良かったのかなと頭をよぎるわけですよね。

そんな中、選考会場に友人が花束を持って、応援しにきてくれて。(まだ、受かってもいないのに笑)もう、こうなったら、やるしかないじゃないですか。

心境的には崖っぷちでしたが、落ちても死なないと開き直ったのが良かったんですかね。

舞台に立ち、英語・中国語・韓国語で自己PRし、自分の思いをお話することができました。もう、緊張しすぎて何を言ったかあまり覚えていませんが笑。

結果発表の時間になり、最初に名前を呼ばれたときは嬉しさと安堵で泣いてしまいました。

家族や友人。会社の方をはじめ、退職時に挨拶ができず、あとで、報告にいこうと思った方にも、しっかり顔向けできると。もう周りの方へ感謝の気持ちでいっぱいでした。


私の人生を大きく変えたミス沖縄

ミス沖縄の活動は私たちの代がちょうど、就任時期の変更があったので、通常は1年なのですが、1年半くらいは活動していたと思います。

ミス沖縄の活動は毎日、やりがいのある楽しさに満ち溢れていました。

活動は3人で行うのですが、派遣は1人で行くことがほとんど。だからこそ、替えもきかないですし、自分の行動や発言に責任を持たないといけない。ある意味特有性の高いお仕事だったと思います。

また、私のこれまで人生で会わないであろう人たちとの出会い。

それは、当時の会長しかり、ミス沖縄のメンバー、沖縄観光コンベンションビューローの皆さん、派遣先で出会う多種多様な方々、くまもんや地方のミスの皆さん、そしてその地域で出会う老若男女の皆さん。

そこから、また人の輪が広がり、今でもその時の出会いが繋がっていて。皆さんから、沢山の刺激を頂いています。

自分がどこに、籍をおくかで、出会う人たちが変わっていくんですよね。

ミス沖縄の活動が私の人生を大きく変えたと思います。


うちなーんちゅの心をハワイで学ぶ

ミス沖縄の活動で最も印象に残っていることは、ハワイで開催されている沖縄フェスティバルですかね。ハワイはいろいろな国のフェスティバルを毎年行っているのですが、県単位で実施しているのは沖縄だけみたいで。

ハワイ在住の沖縄県人会の皆さんが中心になって開催されるフェスティバルは毎年大盛り上り。皆さん、お祭り好きで結束力が固く、うちなーんちゅのアイデンティティの強さ、コミュニティの強さを痛感しました。

さらに、方言レベルの高さには驚きましたね。沖縄の文化や言葉、そして心が今でもずっと残っていて。逆に私が沖縄の教えていただき、少し反省しました。

また、世界各国のうちなーんちゅが沖縄に集まる、うちなーんちゅ大会に参加した際に、ブラジルからお越し頂いた一人の車イスに乗ったおばぁちゃんと出会いました。

この大会のために、30時間もかけてブラジルからお越しいただき、疲れた表情ひとつも見せずに、「私たちは沖縄がルーツだから沖縄の土地や沖縄人に会いたいんだよ」と仰っていました。

世界中にいる、うちなーんちゅや全国にいる沖縄を好きでいてくれる皆さんの気持ちや想いに触れ、沖縄のことをとても誇りに感じました。

ずっと沖縄にいると、悲しいかな。魅力も見えにくくなってしまうんですよね。

ミス沖縄で魅力を発信し続けたように、引退後も沖縄の文化や歴史や言葉を学び、沖縄の魅力を発信し続けていくことが私にできることかなと思っています。


父の創業した会社へ

ミス沖縄を引退後は、父が創業した不動産会社「株式会社マルユウハウジー」へ入社。

現在は、会長でもある父の秘書として仕事を行いながら、個人事業主としても「トーマスエステート」という屋号をもって、活動しています。

また、ミス沖縄時代には、少しでも不動産の知識を深めようと、宅地建物取引士(宅建)を受験することに。

銀行時代には、毎月のように資格試験があったので勉強癖はついていたし、大学時代にも法律を学んでいたので、大丈夫だろうと勘ぐっていたのですが、派遣が続いてしまって。なかなか勉強する時間が取れなかったので、出張中も合間をみてずっと参考書を開いていましたね。試験も1回で無事合格できましたけど、本当に焦りましたよ。


夢は事業を興すこと。言葉にすることの大切さ

弊社は、不動産会社だけでなく、グループ会社に建築設計事務所やガス住設会社もあり、賃貸マンションの企画・設計・施工・管理を一貫して手掛けているので、お客様とは長いお付き合いができるんです。現在は父から兄へ社長を引き継ぎ、新しい改革を打ち出しているので私は事務、経理などを学びながら経営のサポート役として会社を盛り上げていていけるよう日々、努めています。

また、個人でやっている事業はお友達や知り合い、ミス沖縄時代に出会った人たちにも、私が窓口となり、物件をご案内しております。

弊社は自社ブランドを持っているので、そこも紹介していくのですが、お客様一人ひとり、求めている条件も異なってくるので、その他の物件も紹介できるように自分で事業を起こそうと思いました。

前職と比べて、時間や仕事内容についてより裁量を持ってお仕事できる分、自分のやることは全部自己責任なので、プレッシャーもありますが、その分やりがいも大きいです。

父の背中を幼いころから見ていたので、昔から事業を興すことが夢でしたね。

昔行った占いでは、君には、社長は無理だよと言われてしまったのですが笑。

それが悔しくて、ずっと思い続けていたんだと思います。

ミス沖縄の引継ぎ式でも事業を興すことへの夢は伝えていて、その夢が今、着実に近づいているので、言葉の力って本当にあるんだなと感じるようになりました。

今でも誰かとお話をする時は今やっていることをお話するんです。そうすると不思議とお仕事の依頼に繋がっていくんですよ。


外に出れば、出た分だけの出会いがある

なりたい姿は、家庭と仕事をうまく両立させて、楽しく人生を過ごしたい。

(めっちゃ普通!笑)

できれば、県外や海外にも出て、お仕事をしたいですね。最近も運が良いことに海外の視察に同行させて頂き、そこで繋がった方とも、今でも連絡を取り合っています。

外に出れば、出た分だけの出会いがあり、お手本が周りに沢山いるので、私もそうゆう動きができるように勉強しないといけないなと感じています。

今後は、これから更に需要が高まる相続についてもコンサルティングできるように、東京の養成講座に通って上級相続支援コンサルタントの資格取得をしました。今年の9月にもFP1級を受験するので、今はその資格に向けて勉強中です。


\株式会社マルユウハウジーHP/

お部屋探しや土地活用などお気軽にご相談ください(^_-)-☆


次回はどんな素敵なUP BIJINさんにお会いできるのか今から楽しみです♪♪

皆さんもお楽しみに~♡

[取材&撮影/ライフキャリアスタイリスト chika]

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